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雨期B―17。
それは人の名前ではなかった。
名前を書かなかった誰かを、店の中だけで見失わないための番号だった。
01 / 8 雨期B―17
台帳の該当欄には、短い記録が並んでいた。
六月・雨期箱
受付番号 B―17
媒体 買上レシート
小冊子試作 一件
公開保留
ソウマ
「買上レシート」
自分が最初に書いた紙と同じだった。
ミラ
「一行箱へ入った紙は、封筒AとBへ分けて保管されています」
コトハ
「Aは残っています。Bは……」
棚を見回す。
見つからない。
アキトは貸出欄のAから目を離さなかった。
ソウマ
「そのA、アキトさんですか?」
アキト
「当時、母と使っていた整理印だ」
否定ではなかった。
02 / 8 一冊だけ
次の記録には、試し刷りの詳細があった。
題名 雨の日の郵便屋
試し刷り 一部
原文確認 未了
外部配布 不可
ミラ
「古い試し刷りは、最初から一冊だけです」
ソウマ
「じゃあ、今ある五冊目がその一冊」
コトハ
「はい」
答えは早かった。
しかし、なぜその一冊が昨夜の机へ出たのかは語らない。
台帳の隅には、祖母らしい丸い字で注意書きがあった。
匿名でも、最初の一行は誰かのもの。
本人を確認できないまま、外へ渡さないこと。
ソウマは、その二行を長く見ていた。
コトハは見られなかった。
03 / 8 消えた封筒B
封筒Aには、番号の前半にあたる紙片が残っていた。
便箋の端。
パン屋の袋。
学校のプリント。
内容は読まず、番号だけ確認する。
B―17が入っているはずの封筒Bだけがない。
貸出日は、十四年前の試し刷りが止まった前日。
返却欄には斜線がある。
ミラ
「返した記録はある」
アキト
「戻した」
ソウマ
「どこへ?」
アキト
「棚へ戻したつもりだった」
ソウマ
「十四年、見つかってませんけど」
アキト
「言い訳はない」
短い答えだった。
ただし、封筒を借りた理由には答えていない。
04 / 8 消えた七分
ミラが端末を開いた。
ミラ
「私も、話します」
五冊目が現れた夜。
深夜一時十七分から二十四分まで消えていた履歴。
ミラはその七分間、二年前に作った古資料のデータを開いていた。
ソウマ
「題名を見て、思い出した?」
ミラ
「正確には、似たファイル名を」
旧資料をスキャンしたとき、ミラは傾きや汚れを自動で整える処理をかけた。
読みやすい画像はできた。
その代わり、薄い鉛筆や紙の押し跡まで“汚れ”として消えた。
ミラ
「気づいたあと、元画像は残しました。でも、失敗を共有しませんでした」
アキト
「昨夜、その元画像を見た」
ミラ
「はい。見たことも、履歴から消しました」
役に立つ形へ整えた結果、元の声を一度消した。
それを隠すために、もう一度記録を消した。
05 / 8 消された鉛筆
ミラが、加工前と加工後の画像を並べた。
加工後は、白く読みやすい。
加工前は、紙の影や指の跡まで残っている。
第1号計画ファイルを撮った一枚。
背の裂け目から、切り離された紙の端がわずかにのぞいていた。
自動補正後の画像では白く消えている。
元画像を拡大すると、文字が読めた。
原文 雨期B―17
その下。
続き 青葉コトハ
ソウマは画像と、現在のコトハを見比べた。
ソウマ
「コトハさんが、続きを書いた」
コトハはうなずく。
コトハ
「十五歳のときです」
それだけだった。
なぜ制作記録の頁が冊子から消えたのかは、まだ言わなかった。
06 / 8 読みやすくしたもの

ミラ
「加工後の画像では、“雨期B―17”が消えています」
自分の失敗を、自分の画面で拡大する。
ミラ
「私は見やすくしたつもりでした。でも、何を残すかを資料に聞かず、私が決めました」
コトハが静かに言う。
コトハ
「私を守ろうとしたんですか?」
ミラは少し迷う。
ミラ
「最初は失敗を隠したかっただけです。昨夜は、コトハさんのことも隠そうとしました」
コトハ
「私に確認せずに」
ミラ
「はい」
同じ言葉が、別の人へ返ってきた。
誰かを守るために、本人へ渡す情報を減らす。
それは優しさに見えて、選ぶ順番を奪う。
ミラは元画像を共有フォルダへ戻した。
今度は履歴を消さなかった。
07 / 8 コトハの箱
棚の奥に、青葉コトハと書かれた平たい箱があった。
蓋の隙間から、古い原稿の端が見える。
冒頭だけ読めた。
雨の日だけ、灯りを運ぶ人がいた。
ソウマは五冊目を見る。
似ている。
人物も物も違うのに、同じ雨の中から始まっている。
ソウマ
「これも、“雨の日の郵便屋”から?」
コトハ
「数年後に書いた原稿です」
ソウマ
「見せてもらえますか?」
コトハの手が箱へ伸び、止まる。
コトハ
「今は、まだ」
ソウマは追わなかった。
ただ、コトハも“最後だけはまだなし”と言っているように見えた。
08 / 8 戻した場所
アキトは、加工前の写真を拡大していた。
第1号計画ファイルの背が、今より厚い。
ミラ
「封筒B、ここへ挟んだんじゃないですか」
アキトはすぐには答えなかった。
十四年前、棚が閉まっていた。
翌日戻すつもりで、目立つファイルへ一時的に挟んだ。
そこまでは思い出している。
アキト
「可能性はある」
ソウマ
「また可能性」
アキトはファイルへ手を伸ばし、触れる前に止めた。
アキト
「ただ、封筒Bだけじゃない」
コトハ
「何を入れたんですか?」
アキトは、五冊目の抜かれた頁を見る。
アキト
「切られた頁も、拾った」
コトハの顔から、血の気が引いた。
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