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書けなかった。
ソウマは、ずっとそう話してきた。
けれど古い封筒の中には、最後の一行まで書かれた手紙が残っていた。
01 / 8 古い缶
次の土曜日。
ソウマは、小さな菓子缶を抱えて来た。
角がへこみ、蓋には子どものころ貼ったバスのシールが残っている。
ソウマ
「実家の押し入れにありました」
机へ置いても、すぐには開けない。
コトハ
「手紙ですか?」
ソウマ
「書けなかったやつ、だと思ってました」
蓋を外す。
中には薄青い便箋と、小さな封筒が一通。
封筒には、宛名も住所も書かれていた。
アキトが目を上げる。
アキト
「書けなかった手紙に、宛先がある」
ソウマ
「はい。そこからもう、俺の話と合わないです」
封は閉じていなかった。
ソウマは便箋を取り出し、指で端を押さえた。
手が震えていることだけは、冗談にできなかった。
02 / 8 最後まである
コトハは、読む前に尋ねた。
コトハ
「どこまでなら大丈夫ですか?」
ソウマは二枚目の途中へ紙を置く。
ソウマ
「名前と、家のことは飛ばしてください。それ以外は」
手紙には、引っ越しの日に言えなかったことが書かれていた。
団地の階段で話したこと。
雨の日のバス。
新しい町でも元気でいてほしいこと。
そして、別れの言葉まである。
最後には署名もあった。
ソウマは便箋を見たまま、乾いた笑いをこぼした。
ソウマ
「完成してますね」
誰も笑わない。
コトハ
「書けなかったのではなく」
ソウマ
「送らなかった」
自分で続きを言った。
03 / 8 返事が怖かった
封筒の右上には、切手を一度置いた跡があった。
糊の薄い四角だけが残っている。
ミラ
「貼ろうとはした?」
ソウマ
「水もつけたと思います」
アキト
「なぜ剥がした」
ソウマ
「返事が来なかったら嫌だったから」
答えてから、首を振る。
便箋の最後に、一度書いて消した文字がある。
返事はいらない。
ソウマ
「違うな。来なかったら、まだ待てたんです」
新しい友人ができたと返されるかもしれない。
もう寂しくないと分かるかもしれない。
あるいは、自分と同じように寂しかったと分かるかもしれない。
ソウマ
「返事が来たら、関係が一つに決まる気がした」
だから、届けなかった。
自分で選んだ。
04 / 8 言い直した過去
ソウマ
「ずっと、“書けなかった”って言ってました」
菓子缶の縁を指でなぞる。
ソウマ
「そっちの方が、仕方ない感じがするから」
ミラ
「送らなかったなら、自分が選んだことになる」
ソウマ
「はい」
アキト
「何度も説明すると、自分でもその形を信じる」
ソウマ
「教材みたいに言わないでもらえます?」
軽口は戻ったが、前より短かった。
コトハは手紙ではなく、ソウマを見る。
コトハ
「話し直せたことも、今の選択です」
ソウマは答えず、便箋を丁寧に重ねた。
そのとき、封筒の底から小さな紙片が落ちた。
05 / 8 青葉の印
紙片は、古い店の包装カードだった。
裏に、青葉の形をした小さな印がある。
今のStory Atelierの印ではない。
コトハが指を止める。
コトハ
「旧・青葉印刷文具店の店印です」
ソウマ
「じゃあ、俺はここで買った」
紙片の日付は、十四年前の六月。
五冊目の奥付と同じ週だった。
品目欄には、丸い字で四つ。
便箋。
封筒。
切手。
0.5ミリの黒ペン。
ミラ
「一行を書いた道具と一致しますね」
ソウマ
「まだ、俺が書いた証拠ではないですけど」
否定ではなく、確認する声だった。
赤い傘立て。毛布の引き出し。紙と糊の匂い。
ばらばらだった記憶が、同じ日に集まり始めていた。
06 / 8 箱へ入れる紙
菓子缶の底に、もう一枚、折り畳まれた紙があった。
雨粒の焼き印。
開くと、短い案内が書かれている。
名前を書かなくてもかまいません。
残したい一行を、箱へ入れてください。
ソウマは声を出さずに読む。
第5話で戻った声と、同じ言葉だった。
ソウマ
「一行箱」
コトハ
「祖母が置いていました」
ソウマ
「入れた紙は、どうなったんです?」
コトハは少し迷う。
コトハ
「記録し、本人が望んだ場合だけ、小さな冊子へ育てることがありました」
ソウマ
「匿名なら、本人か分からないですよね」
コトハ
「だから、外へ出さないまま終わるものもありました」
机の五冊目が、急に別の重さを持った。
07 / 8 同じ週

五冊目の奥付。
手紙の店印。
一行箱の案内。
すべて十四年前の同じ週へ集まっている。
アキト
「一行箱の台帳が残っているはずだ」
ソウマ
「知ってるんですね」
アキト
「昔、整理を手伝った」
コトハとアキトの間に、また説明されていない時間が見える。
ミラ
「台帳を確認すれば、雨期B―17が何か分かるかもしれません」
コトハは未配架棚の鍵を机へ置いた。
金属の音が、思ったより大きく響く。
コトハ
「開けます」
ソウマ
「今まで開けなかったのに?」
コトハ
「私だけが知っている状態のままにしないためです」
その言葉が、まだ完全ではないことを、コトハ自身が一番よく知っていた。
08 / 8 未配架
古い鍵を差し込む。
途中で一度引っかかり、コトハが扉を少し持ち上げた。
棚は長い息を吐くように開いた。
中には、題名のない箱が並んでいる。
取り下げられた印刷物。
校了前に止まった冊子。
本人の希望で、外へ出なかった原稿。
一番上に、小さな木箱があった。
側面には雨粒の焼き印。
ソウマは、見た瞬間に息を止める。
ソウマ
「これです」
投入口の縁に、子どもの指が何度も触れた跡がある。
その下から、厚い台帳が出てきた。
十四年前の六月。
コトハがページを開く。
そこに、薄い鉛筆で残っていた。
雨期B―17 小冊子試作 公開保留
そして貸出欄には、一文字だけ。
A
全員の視線が、アキトへ向いた。
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