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五冊目を置いたのは、コトハだった。
その答えより重かったのは、彼女がなぜ直接話せなかったのかだった。
01 / 8 置いた人
ソウマの問いに、コトハは目を逸らさなかった。
コトハ
「はい」
店内の音が消えたように感じた。
ソウマ
「四冊作った夜に、戸棚から出した?」
コトハ
「はい」
ソウマ
「次の日、一緒に驚いた」
コトハ
「驚いたふりをしました」
短い答えほど、逃げ場がなかった。
ミラは端末を開かない。
アキトも、言葉を補わない。
ソウマ
「どうして、普通に見せなかったんですか」
コトハは古い試し刷りへ手を置いた。
コトハ
「見せたら、私が何をしたかも話さなければならなかったからです」
02 / 8 先に反応させる
コトハ
「あなたが一文を見て何か思い出せば、私は言わなくても済むと思いました」
ソウマ
「俺の反応で、答え合わせをした」
コトハ
「はい」
ソウマ
「読んでいい範囲は聞いたのに」
コトハの指が、試し刷りの端を押さえる。
ソウマ
「知ってることは、俺に渡さなかった」
コトハ
「はい」
ソウマ
「ここなら、勝手に話を決められないと思ってました」
声を荒らげてはいない。
だからこそ、コトハは受け止めるしかなかった。
コトハ
「守るふりをして、自分が安全な順番を選びました」
ソウマ
「俺の順番じゃなくて」
コトハ
「はい」
03 / 8 十五歳の続き
コトハは未配架棚から、自分の平たい箱を持ってきた。
十五歳のころのノート。
最初のページには、雨期B―17の一行が写されている。
雨の日だけ、手紙を届けない郵便屋がいた。
その下に、コトハが書いた続き。
郵便屋は、届けなかった手紙を鞄へためていく。
雨の日だけ、その重さを確かめるため町を歩く。
コトハ
「初めて読んだとき、私のための一行だと思いました」
ソウマ
「誰が書いたか分からないから?」
コトハ
「誰のものでもないように見えたからです」
匿名と、持ち主がいないことは違う。
十五歳のコトハは、その違いを自分に都合よく忘れた。
04 / 8 切った頁
祖母は、試し刷りの最後へ制作記録を付けた。
原文 雨期B―17
続き 青葉コトハ
原作者確認前・外部配布不可
コトハは、その頁を切り取った。
ミラ
「なぜ?」
コトハ
「学校の小さな文芸冊子へ出したかったからです」
匿名の一行から始まったと書けば、受け取ってもらえないと思った。
自分の名前だけなら、自分の作品として読まれると思った。
ソウマ
「実際に出したんですか」
コトハ
「出す直前まで持っていきました」
封筒へ入れた。
あとは渡すだけだった。
その前に、赤鉛筆の文字を見つけた。
この一文を、私は知っています。
05 / 8 止められた本
赤字を見たコトハは、誰かが元の一行を知っていると分かった。
祖母へ告げ、冊子を取り下げた。
文芸冊子にも出さなかった。
コトハ
「自分で止まったように話してきました」
アキト
「違うのか」
コトハ
「見つかったから止まりました」
アキトの顔がわずかに動く。
コトハは古い試し刷りを閉じた。
コトハ
「正しいことをした人がいた。私は、そう思おうとしました」
ソウマ
「思えなかった?」
コトハ
「書いたもの全部を取り上げられたように感じました」
最初の一行は借りた。
でも、その先まで誰かのものになったわけではない。
当時のコトハは、それを誰にも言えなかった。
06 / 8 物語の近く
数年後、コトハは別の長編を書いた。
人物も町も変えた。
それでも、雨の日だけ動く人と、届けられないものが残った。
コトハ
「自分の原稿を開くと、借りた一行へ戻る気がしました」
だから他人の原稿を読むようになった。
好きな場所を探し、続きを待ち、見せない選択を守る。
それは人を助けるためだった。
同時に、自分の原稿へ戻らず、物語の近くにいる方法でもあった。
ミラ
「アトリエは、仕事であり、避難場所だった」
コトハ
「はい」
ソウマ
「それで俺の一文を残したかった?」
コトハ
「昔の自分が消したものを、今度は残せると思いました」
ソウマ
「俺に言わずに」
コトハはうなずいた。
同じ失敗を、別の優しい形で繰り返していた。
07 / 8 取り下げる

ソウマはコルクボードから、レシートのカードを外した。
ソウマ
「一度、持って帰ります」
コトハは止めない。
ソウマ
「なくしたいわけじゃないです。でも、ここに置くかは考え直したい」
コトハ
「分かりました」
ミラ
「現在のデータは?」
ソウマ
「消さないでください。見たくないのと、なくしたいのは違うので」
現在の四冊は箱へ戻された。
第一号は、いったん取り下げる。
十四年前と同じ場所で、もう一度。
ただ今回は、作者自身が決めた。
ソウマが扉へ向かう。
五冊目の赤字を見て、足を止めた。
ソウマ
「これを書いた人は?」
コトハは首を振る。
コトハ
「私は知りません」
今度の答えは、嘘ではなかった。
08 / 8 次に話す人
アキト
「コトハは知らない」
全員がアキトを見る。
アキトは赤鉛筆を机の中央へ置いた。
アキト
「赤字を書いたのは、俺だ」
コトハが顔を上げる。
コトハ
「十四年前?」
アキト
「そうだ」
ソウマ
「“この一文を知ってる”って、どうして」
アキト
「元の一行を、読んだからだ」
ミラ
「許可を取って?」
アキトは、赤鉛筆から手を離す。
アキト
「取っていない」
コトハが切った頁。
アキトが読んだ匿名の一行。
封筒B。
十四年前、二人は同じ物語の別の場所で、互いに言えないことをしていた。
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