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アキトの赤字は、間違いを正すためだけのものではなかった。
そこには、コトハの物語を誰より先に見抜きたいという欲望が混じっていた。
01 / 8 戻ってきたソウマ
翌日、ソウマはレシートのカードを鞄へ入れたまま、アトリエへ戻った。
入口でコトハへ言う。
ソウマ
「続きを聞くのと、預け直すのは別です」
コトハ
「分かっています」
中央の机には、赤鉛筆、五冊目、第1号計画ファイル。
アキトが椅子へ座っている。
アキト
「最初から話す」
ミラ
「途中を、都合よく切らずに」
アキト
「今回は」
自分の言葉に、アキト自身が眉を寄せた。
切る側だった人が、初めて切らずに話そうとしていた。
02 / 8 許可の外側
十四年前。
アキトは、校正の仕事をする母に同行して青葉印刷文具店へ来ていた。
コトハの試し刷りは、読んでよいと言われていた。
コトハ
「そこまでは、覚えています」
アキトには、最初の一文だけが妙に強く見えた。
続きより古いような、別の声を持っているような文章。
理由を知りたくなった。
一行箱の資料は、鍵のかかっていない机にあった。
ミラ
「開いていたことと、読んでいいことは別です」
アキト
「分かっている」
ソウマ
「今は、ですよね」
アキトは否定しなかった。
封筒Bを開き、匿名の紙片を一枚ずつ読んだ。
そこで、レシート裏の一行を見つけた。
03 / 8 知っている一文
雨の日だけ、手紙を届けない郵便屋がいた。
コトハの冊子と同じ冒頭。
名前はない。
けれど、コトハが書いた一文ではないことだけは分かった。
アキトは本人へ直接言わなかった。
試し刷りの余白へ、赤鉛筆で書いた。
この一文を、私は知っています。
ソウマ
「出典確認のつもり?」
アキト
「当時は、そう説明した」
ミラ
「本当は?」
アキトは赤字を見る。
アキト
「見抜いたと知らせたかった」
コトハは、その一文を見た日のことを思い出す。
誰が書いたか分からない赤字は、店のどこからでも見られているように感じた。
正しい指摘は、名前のない告発になった。
04 / 8 安心した
アキト
「コトハが、うらやましかった」
全員が黙る。
アキトは弱点を見つけられた。
構成も、矛盾も、足りない理由も分かった。
けれど、自分では人の心へ残る最初の一行を書けなかった。
アキト
「その一文が借りたものだと分かったとき、安心した」
コトハが顔を上げる。
アキト
「同時に、俺だけが本当のことを知っていると思った」
ソウマ
「正しいから言っただけじゃない」
アキト
「違う」
正しさの中に、羨望と優越が混じっていた。
そこを切り離したふりをして、十四年黙っていた。
05 / 8 君の文章ではない

数年後。
コトハは別の長編を書いた。
人物も町も変えたが、雨の日だけ動く人と、届けられないものが残っていた。
アキトは言った。
この部分だけ、君の文章ではないように見える。
コトハ
「内容は、当たっていました」
アキト
「当たっていたから、言ってよかったとは思っていない」
コトハ
「私は、あのあと書けなくなりました」
アキト
「知っている」
コトハ
「知っていて、何もしなかった」
アキト
「謝れば、正しかった部分まで撤回することになると思っていた」
コトハは悲しそうに笑った。
コトハ
「正しさを守る方が、私より大事だったんですね」
アキトは、否定しなかった。
06 / 8 拾った頁
赤字を書いたあと、アキトは作業場のごみ箱で、切り取られた制作記録の頁を見つけた。
原文 雨期B―17
続き 青葉コトハ
原作者確認前・外部配布不可
コトハが切った頁だった。
アキト
「捨ててはいけない証拠だと思った」
さらに封筒Bから、元の一行が書かれたレシートも抜いた。
ミラ
「持ち出した」
アキト
「証拠を守るつもりで、資料を奪った」
翌日戻そうとしたが、未配架棚は閉まっていた。
人に見つからず、忘れない場所として、第1号計画ファイルへ挟んだ。
そのまま、計画ごと止まり、店から遠ざかった。
ソウマ
「守ったって言いながら、誰にも戻してない」
アキト
「そうだ」
07 / 8 切るか、残すか
第1号計画ファイルの背は、不自然に膨らんでいる。
ミラが光へ透かすと、中に封筒らしい影が見えた。
取り出すには、厚紙の背を切り開く必要がある。
ミラ
「資料は元の形に戻りません」
コトハ
「中身を確かめるために、外側を変える」
十四年前、コトハは名の頁を切った。
アキトは資料を抜いた。
ミラは画像から薄い文字を消した。
今度は、何を切るかを四人で決める。
作業前の写真を残す。
切る位置を最小にする。
取り出したあとは修復する。
ソウマが最後にうなずいた。
ソウマ
「開けたいです。自分の一行か、確かめたい」
08 / 8 背の中
アキトは赤鉛筆を机の中央へ置いた。
誰の原稿にも届かない位置。
コトハがファイルを押さえる。
ミラが記録を始める。
ソウマが薄い刃を受け取った。
ソウマ
「俺が切っていいんですか」
コトハ
「あなたが決めたので」
刃を入れる。
乾いた紙の音。
数センチ開くと、薄茶色の封筒が滑り出た。
表には、鉛筆で書かれている。
雨期B
その中に、細長い紙と、切り取られた頁が重なっていた。
ソウマの手が止まる。
細長い紙の表には、旧・青葉印刷文具店の名。
裏側には、黒い字が透けていた。
十四年間、背の中で閉じていた最初の一行が、ようやく外へ出た。
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