第5話

雨宿り

大雨で帰れなくなった四人。停電した店で、ソウマの手は誰にも教わっていない引き出しを開ける。

登場人物
コトハ・ソウマ・ミラ・アキト
読了時間
7〜10分
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停電したアトリエ、四つのカップ、赤い塗装の残る傘立て

記憶は、説明より先に手へ出る。

その夜、ソウマは初めて入ったはずの店で、誰にも教わっていない引き出しを開けた。


01 / 8 帰れない雨

夕方から降り始めた雨は、閉店時間を過ぎても弱まらなかった。

商店街の放送が、川沿いの道路の通行止めを告げている。

ミラ

「駅へ向かうバス、止まりました」

ソウマ

「俺の方もです。天気アプリ、今日は励ましすら言わない」

アキトは窓の外を見て、鞄を椅子の下へ戻した。

アキト

「待つしかない」

五冊目は薄紙に包み、机の端へ置かれている。

赤字のことも、鍵のことも、消えた七分のことも解決していない。

それでも今夜は、紙より先に人を乾かす時間になった。

コトハが湯を沸かす。

コトハ

「雨宿りの続きをしましょう」

ソウマはその言い方を、どこかで聞いた気がした。


02 / 8 四つのカップ

カップ麺は四種類。

ソウマが机へ並べた。

ソウマ

「公平に、じゃんけんで」

ミラ

「成分表で比較できます」

ソウマ

「それ、じゃんけんより争いになります」

アキトは一番地味な醤油味を取った。

コトハはほうじ茶を淹れ、最後にプリンを出す。

皿は五枚。

ソウマ

「また五枚ある」

ミラ

「予備です」

ソウマ

「この店、五個目に警戒心なさすぎません?」

ミラが一枚しまい、四人が笑った。

五冊目が現れてから、初めて普通の音が机へ戻る。

その直後、雷が鳴った。

店内の灯りが、一斉に消えた。


03 / 8 暗い店

印刷機も冷蔵庫も止まり、雨の音だけが大きくなる。

ミラがスマートフォンのライトを点けた。

ミラ

「ブレーカーを見ます」

コトハ

「足元に紙箱があります。ゆっくりで」

暗いアトリエは、昼間より奥行きが深く見えた。

ソウマは入口近くの壁へ向かう。

ソウマ

「毛布、出します」

そう言って、迷わず一番下から二段目の引き出しを開けた。

中には、生成り色の毛布が三枚。

全員がソウマを見る。

本人だけが、一拍遅れて気づいた。

ソウマ

「……合ってましたね」

隣の引き出しを開けると、活字の金属片が詰まっていた。

偶然では説明しにくくなった。


04 / 8 手が知っている

コトハ

「以前、来たことがありますか?」

ソウマ

「ないと思います」

ミラ

「“思います”?」

ソウマ

「レシートの日が初めてで。少なくとも、覚えてる範囲では」

アキトが引き出しの位置を見る。

アキト

「外からは見えない」

ソウマ

「毛布って、だいたい下にあるじゃないですか」

アキト

「隣は活字だ」

ソウマ

「今ので言い訳が終わりました」

コトハは毛布を一枚受け取った。

コトハ

「手が、迷いませんでした」

責める声ではなかった。

だからソウマは、笑ってごまかせなかった。


05 / 8 赤かったもの

停電した入口で、ソウマとコトハが緑の塗装の下に赤色が残る古い傘立てを見る。

ブレーカーが戻るまで、四人は入口近くへ集まった。

ソウマは扉の横にある傘立てを見る。

今は深緑だが、塗装の剥げた内側に赤が残っている。

ソウマ

「これ、前は赤かったんですね」

コトハ

「子どものころは赤でした」

ソウマ

「やっぱり」

言ってから眉を寄せる。

ソウマ

「……やっぱり?」

雨に濡れた赤い傘が何本も並ぶ景色。

背の低い机。

紙袋から覗く小さな封筒。

記憶はそこまでで途切れた。

ソウマ

「知らないはずなのに、知ってることが増えてきました」

コトハは傘立てへ触れた。

コトハ

「思い出すことと、説明できることは、同時ではありません」

その言い方も、経験から出たように聞こえた。


06 / 8 何もしないミラ

灯りが戻る。

ミラは端末を開き、消えた七分の履歴を表示しかけた。

そして、画面を伏せる。

ソウマ

「調べないんですか?」

ミラ

「今やると、答えを急ぎすぎます」

ソウマ

「ミラさんが?」

ミラ

「失礼ですね。自覚はあります」

ミラは五冊目の向かいへ、手ぶらで座った。

ミラ

「分からない状態にいるのが苦手なんです。条件を並べて、早く形にしたくなる」

ソウマ

「便利ですけどね」

ミラ

「便利と、本人が望んだことは別です」

コトハが、わずかに顔を上げた。

ミラはまだ、消した履歴について話さなかった。

ただ、話す前に整えないことを初めて選んだ。


07 / 8 紙と糊の匂い

夜が深くなる。

アキトは赤鉛筆を削っていた。

一定の速さで木を落とし、折れた芯だけを紙へ包む。

ソウマ

「赤って、怖くないですか」

アキト

「色が?」

ソウマ

「原稿にあると、間違いって言われる感じがする」

アキトの手が止まる。

アキト

「鉛筆が怖いわけじゃない」

ソウマ

「使う人?」

アキト

「使う理由だ」

それ以上は言わない。

ソウマは毛布へ顔を埋めた。

湿った紙と、古い糊の匂いがする。

その匂いも、知っている。

胸の奥で、鍵の外れるような感覚がした。


08 / 8 名前はいらない

雨の日。

赤い傘立て。

背の低い机。

小さな木箱。

ソウマの頭に、今度は声まで戻った。

名前は書かなくていいよ。

一行だけでも、残したいなら。

ソウマは目を開ける。

ソウマ

「コトハさん」

コトハ

「はい」

ソウマ

「この店、昔、紙を入れる箱がありませんでした?」

コトハは答えなかった。

その沈黙で、記憶が夢ではないと分かった。

アキトが赤鉛筆を置く。

ミラも端末を伏せたまま、コトハを見る。

長い雨音のあと。

コトハは、ようやくうなずいた。

コトハ

「ありました」

ソウマ

「何の箱ですか?」

コトハは奥の鍵付き戸棚へ目を向けた。

コトハ

「名前のない一行を預かる箱です」

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