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五冊目を置いた人。
十四年前に赤字を書いた人。
二人が同じだと決める理由は、まだなかった。
けれどアキトだけは、最初から二人を分けて考えていた。
01 / 8 事実と仮説
ミラは黒板を二つに分けた。
左に事実。右に仮説。
事実には、六つだけ書く。
- 昨日作った本は四冊
- 五冊目は十四年前の紙
- 冒頭は「届けない」
- 赤鉛筆の書き込みがある
- 制作記録の頁が抜かれている
- 原文の管理番号は「雨期B―17」
仮説は、まだ空欄にした。
ソウマ
「“四人の誰かが怪しい”は?」
ミラ
「それは事実ではありません」
ソウマ
「今の空気としては、かなり事実ですけど」
笑う人はいなかった。
ミラは赤字の拡大写真を机へ置く。
ミラ
「最初に、いつ書かれたものかを確認します」
アキトは写真ではなく、実物を見ていた。
まるで、答えを知っている人のように。
02 / 8 同じ記号
赤い線の終わりに、小さな三角があった。
アキトが文章の出典や根拠を確かめるとき、今も使う記号だった。
ミラが前日の校正紙を横へ置く。
青鉛筆の線にも、同じ三角がある。
ソウマ
「アキトさんの記号ですよね」
アキト
「似ている」
ソウマ
「本人が一番慎重になるやつだ」
アキトは引き出しから赤鉛筆を一本出した。
古い赤字と、よく似た暗い赤。
コトハの手が、膝の上で固くなる。
ミラ
「昨日、これを使いましたか?」
アキト
「使っていない」
ソウマ
「昔は?」
アキトは赤鉛筆を机へ置いた。
アキト
「質問を分けろ」
答えにはなっていなかった。
03 / 8 古い赤
赤鉛筆の粉は、紙の繊維へ沈んでいた。
新しく書けば表面に残るはずの粒が、ほとんど浮いていない。
アキト
「昨夜の字ではない」
ミラ
「十四年前?」
アキト
「そこまでは断定できない。ただ、古い」
ミラが黒板へ二行加える。
- 五冊目を昨夜置いた人
- 赤字を昔書いた人
ソウマ
「容疑者が増えたという理解でいいですか」
コトハ
「犯人とは限りません」
ソウマ
「善意で黙って置く人も、だいぶ怖いですけど」
コトハは視線を落とした。
アキトだけが、その反応を見逃さなかった。
04 / 8 鍵を持つ人
店の鍵は二本。
一本はコトハ。
もう一本は作業用で、昨日の閉店前にアキトが返している。
ミラ
「最後に残ったのはコトハさんです」
コトハ
「はい」
ソウマ
「五冊目は、どこにあったんですか」
コトハ
「十四年前の試し刷りなら、未整理の保管物にある可能性はあります」
ソウマ
「可能性じゃなくて。見たことは?」
間が空く。
コトハ
「似たものを、昔見たことがあります」
ミラ
「昨夜、奥の戸棚を開けましたか?」
コトハの左手が、ポケットの上へ触れた。
コトハ
「……開けました」
その場の全員が、次の言葉を待った。
しかしコトハは、それ以上を続けなかった。
05 / 8 消えた七分
今度はミラの端末に、視線が集まった。
昨夜の共有ログには、深夜一時十七分から一時二十四分まで空白がある。
ソウマ
「店には来てないんですよね」
ミラ
「来ていません」
アキト
「何を消した」
ミラ
「別の履歴です」
アキト
「それを決めるのは、見たあとだ」
普段ならミラが言いそうな言葉だった。
ミラは端末の縁を強く押さえた。
ミラ
「今は見せられません」
ソウマ
「五冊目と関係ないって言えます?」
ミラ
「紙の本を置いたのは私ではありません。それだけは言えます」
端末を伏せる。
隠し事があることだけは、もう隠せなかった。
06 / 8 戸棚の埃
四人は、奥の戸棚の前へ移った。
鍵穴の周りに、古い紙埃が薄く残っている。
扉の下には、昨夜落ちたらしい細い繊維。
五冊目の表紙と同じ、黄ばんだ生成り色だった。
ソウマ
「ここから出した本ですよね」
コトハは否定しない。
コトハ
「そうだと思います」
ソウマ
「“思います”?」
コトハ
「戸棚の中身を、全部把握しているわけではありません」
正しい説明だった。
だが、昨夜ここを開けたことへの答えにはなっていない。
アキトが扉を見たまま言う。
アキト
「聞く順番が違う」
ソウマ
「何から聞けばいいんです?」
アキト
「五冊目を知っていたか、ではない」
一拍置く。
アキト
「なぜ、見せる必要があったかだ」
コトハの顔が強張った。
07 / 8 今回の原稿
ソウマは、赤い書き込みへ戻った。
ソウマ
「アキトさん。これ、本当に書いてないんですよね」
アキト
「今回の原稿には書いていない」
ミラが顔を上げる。
ミラ
「“今回の”?」
ソウマ
「前の原稿には?」
アキトはすぐには答えなかった。
ソウマ
「知らないなら、知らないって言えますよね」
アキト
「言えない」
ソウマ
「それ、ほとんど答えでは?」
アキト
「まだ話せないことと、昨夜置いたことは別だ」
また、二つへ分けた。
五冊目を置いた人。
赤字を書いた人。
アキトは、どうしてそこまで確信しているのか。
08 / 8 二人いる

ミラが赤字の画像をさらに拡大した。
文字の下に、細い押し跡がある。
赤字を書く前から、紙に残っていた折り目。
五冊目を戸棚から出した昨夜についたものではない。
赤字は、冊子がまだ新しかったころに書かれている。
ミラ
「赤字を書いた人は、十四年前の冊子に触れていた」
アキトが小さくうなずく。
ソウマ
「やっぱり知ってるんですね」
アキトは古い一文を見る。
この一文を、私は知っています。
そして、ようやく言った。
アキト
「昨夜これを置いた人と、この字を書いた人は別だ」
ミラ
「なぜ断定できるんですか?」
アキトは赤鉛筆を握った。
答えないまま、芯の先を折った。
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