第1話

レシート裏の郵便屋

雨の夜、レシートの裏に一文を書いたソウマ。拾ったコトハは、初めて見た文章とは思えない問いを返す。

登場人物
コトハ・ソウマ・ミラ・アキト
読了時間
6〜9分
読み始める
雨の商店街、飛ぶレシート、深緑の扉

雨の日だけ、手紙を届ける郵便屋がいた。

雨の夜、ソウマがレシートの裏へ書いた、たった一文。

風にさらわれたその紙を拾ったコトハは、返す前に妙なことを尋ねた。

「これ、今書いたんですか?」


01 / 8 雨宿りの一文

雨のコンビニ軒下で、ソウマがレシートの裏へ最初の一文を書く。

夜の青葉商店街を、強い雨が白く煙らせていた。

雨粒はコンビニの軒を細かく叩き、閉まった店のシャッターには、店内の明かりだけが細長く伸びている。

自動ドアから出てきたソウマの手には、半透明の買い物袋と、買ったものより妙に長いレシートがあった。

袋の中には牛乳。それから、買う予定のなかった黒いボールペンと、小さなメモ帳。

ソウマ

「……牛乳だけ買うつもりだったんだけどな」

天気アプリを開く。

雨雲が抜けるまで、あと八分。

さっき見たときも、その前も八分だった。

ソウマ

「この“あと八分”、もう三回見てる」

画面を閉じ、買ったばかりのボールペンを取り出した。

メモ帳もあるのに、なぜか手に取ったのはレシートだった。

裏返す。真っ白な紙面へペン先を置くと、一文だけがするりと出てきた。

雨の日だけ、手紙を届ける郵便屋がいた。

いつ思いついたのか、自分でも分からない。

今、思いついた。そのはずだった。

ソウマ

「……何やってんだ、俺。コンビニ前で」

レシートを折ろうとした、そのとき。

商店街の奥から、ひときわ強い風が吹いた。

白い紙が、指のあいだから消えた。


02 / 8 扉の下

濡れた舗道を滑るレシートを追い、ソウマが深緑の扉へ手を伸ばす。

ソウマ

「あっ」

レシートは濡れた舗道へ落ち、雨水の細い流れに乗った。

ソウマ

「待て待て待て。恥ずかしいやつ!」

閉まった美容室、古書店、喫茶店。その前を、紙はするすると逃げていく。

ソウマ

「紙のくせに逃げ足はやっ」

商店街の端に、古い建物があった。

深緑色の扉。真鍮の取っ手。上には小さな看板。

STORY ATELIER

扉の隙間から、生成り色の明かりが漏れていた。

ソウマ

「……ストーリー、アトリエ?」

こんな店があっただろうか。

考えるより先にしゃがみ、手を伸ばす。

あと少し。

指先が届く直前、レシートは扉の下へするりと潜り込んだ。

数秒、何も起きない。

やがて、向こうで椅子を引く音がした。

紙を拾う気配。

そして、低い声。

???

「……これ」

声は、そこで途切れた。

なぜかすぐには、紙が返ってこなかった。


03 / 8 今、書いたんですか

深緑の扉を挟み、レシートを持つコトハと雨に濡れたソウマが向き合う。

扉が少しだけ開いた。

濡れたレシートを手にした女性と、雨に濡れたソウマの目が合う。

ソウマ

「あの、すみません。今、すごく個人的に恥ずかしい紙が、そちらに入っていったと思うんですけど」

コトハ

「個人的に恥ずかしい紙」

ソウマ

「そこ、復唱しなくて大丈夫です」

コトハの口元が少しだけ緩む。

だがレシートへ目を戻した瞬間、その表情が消えた。

一文を読み、もう一度、最初から目で追う。

コトハ

「……これ、今書いたんですか?」

ソウマ

「今ですけど」

コトハ

「この近くで?」

ソウマ

「そこのコンビニです」

コトハの視線が、ソウマの肩越しに商店街へ向く。

コトハ

「ここへ来たことはありますか?」

ソウマ

「ほとんどないです。ちゃんと歩いたのは、たぶん今日が初めてで」

コトハ

「……そうですか」

答えるまで、一拍あった。

ソウマ

「何か?」

コトハ

「いえ。すみません。一文、読んでしまいました」

ソウマ

「一文だけ?」

コトハ

「一文だけ」

ソウマ

「一番だめなやつ」

コトハは困った顔をして、扉を大きく開いた。

木と紙の匂いが、冷たい雨の中へ流れてくる。

コトハ

「かなり濡れています。中へどうぞ」

ソウマが一歩入る。

その背後で扉が閉じたあとも、コトハはレシートから目を離さなかった。


04 / 8 四人の机

木の作業机で、コトハ、ソウマ、ミラ、アキトが一枚のレシートを囲む。

アトリエの中は、店というより作業場に近かった。

古い木の机、紙束、インク瓶、年代の違う小さな印刷機。

ソウマの肩には生成り色のタオル。レシートはクリップで留められ、真鍮のライトの下で乾かされている。

窓際から、タブレットを抱えたミラが顔を上げた。

ミラ

「コトハさん、その人、プリン買ってきた人ですか?」

ソウマ

「初対面で購入履歴を読まないでください」

ミラ

「レシートなので」

裏面へ視線が移る。

ソウマ

「あ。また読まれた」

ミラ

「短いのに、覚えますね」

ソウマ

「恥ずかしさが増したな」

コトハ

「私は好きです」

即答だった。

その声に反応するように、紙棚の向こうからアキトが現れた。

アキト

「何の話だ」

ミラ

「雨の日だけ手紙を届ける郵便屋さん」

アキトはレシートを読む。

アキト

「一文は悪くない」

ソウマ

「誰!?」

アキト

「ただ、まだ物語ではない」

ソウマ

「初対面の角度が鋭い」

気づけば、四人が一枚のレシートを囲んでいた。

アキトが尋ねる。

アキト

「これ、どこから出てきた」

ソウマ

「どこから?」

アキト

「思いついたきっかけ」

ソウマは答えようとして、止まった。

今まで考えたことのない質問だった。


05 / 8 前からあった一文

一文の記憶を探すソウマを、コトハたち三人が静かに見守る。

ソウマ

「今、なんとなく書いただけです」

アキトは黙っている。

その沈黙に押されるように、ソウマは続けた。

ソウマ

「でも、初めて考えた感じもしないんですよね」

コトハの指が、わずかに止まる。

ソウマ

「前から頭のどこかにあった、みたいな」

ミラ

「前に書いたとか?」

ソウマ

「それなら覚えてると思うんですけど」

ミラはタブレットへ手を伸ばし、途中で止めた。

ミラ

「続きを出すことはできます。でも、今はやらない方がよさそうです」

ソウマ

「AI担当みたいな人が止めるんだ」

ミラ

「誰の続きか分からなくなりそうなので」

アキトは黒い手帳を開かないまま言う。

アキト

「続きを書くなら、先に決める」

ソウマ

「何を?」

アキト

「その郵便屋は、誰に届けたい」

ソウマは答えられなかった。

代わりに、一瞬だけ景色が浮かぶ。

雨。低い机。赤い何か。

すぐに消えた。

コトハ

「どうしました?」

ソウマ

「……なんでもないです」

その瞬間、天井から大きな水滴が落ちた。


06 / 8 雨漏りの向こう

雨漏りの下で、四人が紙箱を抱えて古い戸棚から遠ざける。

水滴は紙棚の上へ落ち、古い箱の角を濃くした。

アキト

「箱を動かす。中身はあと」

四人が一斉に動く。

初めて入った店で、ソウマまで紙箱を抱えて走っていた。

ソウマ

「この店、入場したら雨漏り対応まで含まれるんですか」

ミラ

「今日は体験コースです」

最後の箱をずらすと、その奥に小さな木製の戸棚が現れた。

周囲の棚より古く、取っ手の下には鍵穴がある。

同時に、箱の底から色あせた紙が一枚滑り落ちた。

中央には、ただ一言。

第1号

題名も発行日も執筆者も空欄だった。

ソウマ

「最初の一冊?」

コトハ

「作られないまま、残った計画です」

コトハの左手が、無意識にポケットへ入る。

アキトだけが、その動きを見ていた。

アキト

「鍵、まだ持ってたのか」

ソウマとミラが同時にコトハを見る。

コトハは答えず、ポケットの上から鍵を握った。


07 / 8 置いていく

コトハがレシートを留めたカードを差し出し、ソウマが預けるか迷う。

雨が弱まるころ、レシートはほとんど乾いていた。

コトハは古いカードへ留め、ソウマの前へ置く。

コトハ

「もしよければ、ここに置いていきませんか」

ソウマ

「この紙を?」

コトハ

「はい」

ソウマ

「なんで?」

コトハは、言葉を選ぶように少し間を置いた。

コトハ

「なくなるのが、少し惜しいので」

ソウマ

「続き、書けるか分かりませんよ」

コトハ

「続ける約束ではありません」

ソウマ

「勝手に続きを増やしたりしない?」

コトハ

「しません」

ミラも端末を開かない。アキトも計画紙へ書き足さない。

三人とも待っていた。

ソウマは、曲がっていたクリップを指でまっすぐに直す。

ソウマ

「……じゃあ、置いていきます」

扉を出る直前、振り返った。

ソウマ

「そういえば。なんで“今書いたのか”って聞いたんです?」

店の中が、一瞬だけ静かになる。

コトハ

「……なんとなくです」

扉が閉じる。

アキトがコトハを見る。

アキト

「なんとなく、か」

コトハは答えなかった。


08 / 8 十四年前

雨の商店街で二行目を書くソウマと、窓の奥で古い冊子を開くコトハ。

ソウマは商店街の途中で立ち止まり、買ったばかりのメモ帳を開いた。

一行目。

雨の日だけ、手紙を届ける郵便屋がいた。

その下へ、二行目を書く。

でも、その郵便屋は、自分宛ての手紙だけ届けられなかった。

初めて書いたはずなのに、続きまで知っていたような感覚が残る。

そのころ、アトリエではミラとアキトが帰り、コトハだけが残っていた。

コルクボードの一文を見たあと、ポケットから古い真鍮の鍵を出す。

戸棚へ差し、回す。

カチリ。

中には、公開されなかった校正紙や試し刷りが並んでいた。

コトハは一番奥から、薄い冊子を一冊抜く。

表紙には、かすれた文字。

第一号 試し刷り

日付は十四年前。

ページをめくる。

一枚目に、たった一文。

雨の日だけ、手紙を届けない郵便屋がいた。

机へ戻り、今夜のレシートと並べる。

雨の日だけ、手紙を届ける郵便屋がいた。

違うのは、「届ける」と「届けない」。

コトハは古い冊子の日付を見た。

そして、閉じた扉を見た。

コトハ

「……今、書いたはずなのに」

雨が、また強くなった。

第1話 読了地点