創作ノート / AIと推敲

笑われた頁

AIで読みやすく整えた昔の原稿を、三ページ目で読めなくなったソウマ。消えた一行と自分の指示を見比べ、笑われた表現を今の判断で残し直す短編です。

読み始める

AIで整え直した昔の原稿は、驚くほど読みやすくなった。

言い回しも自然だった。
意味の分からないところもない。

なのにソウマは、三ページ目で読むのをやめた。

1 誰にも笑われない原稿

夕方のストーリーアトリエには、古い印刷機の熱がまだ少し残っていた。

作業机の上に、二つの原稿が並んでいる。

左は、ソウマが高校生のころに書いたものを打ち直した原稿。

右は、それをAIで推敲した新しい稿。

ソウマは新しい方を指で叩いた。

「今回は、かなり良くなったと思うんですけど」

ミラがタブレットを受け取る。

「何を頼んだんですか?」

「読みにくいところを直して、子どもっぽい表現を自然にして、全体を大人っぽく」

「大人っぽく」

「そこ復唱すると恥ずかしいな」

コトハも新稿を読む。

アキトは少し離れたところで旧稿を開いた。

しばらく、紙をめくる音だけが続いた。

最初に顔を上げたのはミラだった。

「読みやすいです」

「ですよね」

コトハもうなずく。

「文章の流れも自然です」

「ですよね」

アキトが言う。

「破綻もない」

ソウマが満足そうに椅子へもたれた。

「ほら。初めて三人とも褒めた」

「まだ褒めてない」とアキト。

「破綻がないは褒め言葉に含めてください」

笑いながら、ソウマも新稿を読み返し始める。

一ページ。

二ページ。

三ページ。

そこで指が止まった。

少し戻る。

また読む。

「……あれ」

ミラが見る。

「どうしました?」

「いや」

もう一度、ページを戻す。

文章はきれいにつながっている。

抜けている場面もない。

なのに、そこから先を読む気が急に失せた。

「何だろ」

ソウマは新稿を机へ置いた。

「嫌なところはないんです」

「はい」

「むしろ前よりずっといい」

「はい」

「でも……」

少し考える。

「俺が書く必要、あったのかな。これ」

誰もすぐには答えなかった。

コトハが旧稿と新稿を引き寄せる。

一行ずつ見比べていく。

やがて、旧稿の三ページ目で止まった。

「ソウマさん」

「はい?」

コトハが指を置く。

「一ヶ所だけ、なくなっています」

夕方のアトリエで、二つの原稿とタブレットを囲むソウマ、コトハ、ミラ、アキト。

2 消えた一行

旧稿には、こんな一文があった。

夕焼けが窓に貼りついて、帰りたくない人のふりをしていた。

新稿では、

西日が窓を赤く染めていた。

になっている。

ソウマは二つを読み比べた。

「……それ?」

「覚えていました?」とコトハ。

「いや」

そう答えてから、もう一度旧稿を見る。

「でも、見たら分かる」

ミラが尋ねる。

「何がですか?」

「俺の文章だなって」

アキトが旧稿を手元へ寄せる。

「なんで夕焼けが帰りたくないんだ」

「知らないですよ」

「書いたのはお前だ」

「十年以上前の俺に聞いてください」

アキトは待つ。

ソウマも、仕方なく一文を見る。

夕方の教室。

誰もいなくなったあと。

窓だけが赤い。

「……たぶん」

ゆっくり言う。

「帰りたくなかったんじゃないですかね。書いたやつが」

アキトがうなずく。

「なら文章としては意味がある」

「でも変じゃないです?」

「変だな」

「即答」

ミラが笑う。

けれどアキトは続けた。

「変だから消す、とは言ってない」

コトハは旧稿の紙を持ち上げた。

よく見ると、その一文だけ少し汚れている。

黒い線。

一本ではない。

何度もペンで塗りつぶそうとした跡がある。

「これ、AIが直したときについた線じゃないですよね」

ソウマが黙った。

紙の原稿は高校時代のものだ。

AIへ渡すずっと前から、線はあった。

ミラが旧稿を見る。

「ソウマさん」

「はい」

「この一文、AIが最初に消したんじゃないですね」

ソウマは黒く潰れた文字を見た。

忘れていたはずの教室の音が、少しだけ戻ってきた。

3 笑われた頁

放課後だった。

自分の席に置いたままにした原稿を、クラスメイトが勝手に読んでいた。

悪意があったのかは、もう分からない。

誰かが三ページ目を声に出した。

夕焼けが窓に貼りついて、帰りたくない人のふりをしていた。

少し間があった。

それから笑い声。

「何それ」

「夕焼けが帰りたくないって何?」

大した出来事ではなかった。

少なくとも、ソウマはそういうことにした。

「だろ?」

自分も笑った。

「適当に書いただけ」

その日の夜。

机で原稿を開いた。

笑われた一文に黒い線を引いた。

一度。

まだ読める。

もう一度。

それでも読める。

何度も重ねた。

文字が見えなくなるまで。

アトリエへ戻ってきたソウマは、旧稿を裏返した。

「こんなの、よく取ってたな」

冗談っぽく言った。

コトハは笑わなかった。

「捨てなくてよかったですね」

「いや、結構恥ずかしいですよ」

「でも残っていたから、今選び直せます」

その言葉に、ソウマは少し黙る。

アキトが聞いた。

「今読んで、どう思う」

「どうって」

「昔笑われたからじゃなくて、今のお前が読むとどうなんだ」

ソウマはもう一度、一文を読む。

夕焼けが窓に貼りついて、帰りたくない人のふりをしていた。

「……変です」

「他には」

「ちょっと説明足りない」

「他には」

ソウマは窓を見る。

もう外は薄暗く、夕焼けは残っていない。

「でも、嫌いじゃない」

アキトはそれ以上何も言わなかった。

ミラが新稿を開く。

「じゃあ、どうして今回も消えたんでしょう」

「AIが自然に直したからじゃないんですか?」

ミラの指が止まった。

「確認していいですか?」

ソウマがうなずく。

ミラは、AIへ送ったときの指示を画面へ出した。

そこに、ソウマ自身が書いた文章が残っていた。

子どもっぽい表現や、読んだ人に変だと思われそうな比喩は、自然で一般的な表現に直してください。
誰が読んでも違和感のない文章にしてください。

しばらく誰も話さなかった。

ミラが静かに言う。

「AIは、かなり正確にお願いを聞いてます」

ソウマは画面を見る。

それから、黒く塗りつぶした昔の頁を見る。

「……俺か」

夜のアトリエで、黒い線の残る昔の原稿を前に考え込むソウマ。

4 頼んだのは自分

「AIに消されたんじゃなかった」

ソウマは椅子へ深く座った。

「俺が消してくれって頼んでたんだ」

「そうなりますね」とミラ。

責める言い方ではない。

だから余計に、逃げ道がなかった。

「十年以上たって、まだ同じことしてるのか」

コトハが言う。

「笑われたくないと思うこと自体は、悪くないと思います」

ソウマが見る。

「人に読んでもらうなら、伝わりやすくしたいのも本当です」

「でも」

「でも?」

ソウマは新稿を見る。

嫌なところがない。

読みにくいところもない。

そして、三ページ目で読むのをやめた。

「それだけにすると、俺が読みたい文章じゃなくなる」

ミラがタブレットを回した。

「じゃあ、AIに頼む範囲を変えてみます?」

「どういうふうに?」

ミラは新しい入力欄を開く。

ソウマが考えながら打つ。

この文章を代わりに書き換えず、読みにくい箇所だけ指摘してください。

少し考えて、続ける。

独特な比喩や言い回しは削除しないでください。
意味が伝わりにくい場合は、自然な表現へ置き換えるのではなく、「何を伝えたいのか」を質問してください。

最後に一行。

「夕焼けが窓に貼りついて、帰りたくない人のふりをしていた」は残してください。

ソウマが入力を止める。

「自分で『残してください』って書くの、妙に緊張しますね」

「誰も笑ってないですよ」とミラ。

「今のところは」

AIから返ってきた指摘を見る。

問題の一文については、こうあった。

印象的ですが、「誰が帰りたくないのか」が周辺の文章だけでは分かりにくい可能性があります。主人公の感情と結びつけますか?

ソウマは少し笑った。

「これならいいな」

アキトが聞く。

「何が」

「消さないで、分からないところだけ聞いてくる」

「なら答えろ」

「急に現実」

ソウマは旧稿と新稿を並べる。

変な一文を普通にするのではなく。

変なまま、読めるようにする。

「……できますかね」

コトハが答える。

「今度は、何を残したいか分かっていますから」

ソウマはペンを取った。

アトリエの机で昔の原稿を手にしたソウマを、コトハが静かに見守る。

5 残す

放課後の教室には、もう誰もいなかった。

机の上には開いたノート。

鞄は椅子の背に掛かったまま。

主人公は帰る準備をしているのに、最後の一冊だけ鞄へ入れない。

ソウマは、その前に二行だけ加えた。

帰らなければならない理由はいくつもあった。
帰りたい理由だけが、一つも思いつかなかった。

そして、消えていた一文を戻す。

夕焼けが窓に貼りついて、帰りたくない人のふりをしていた。

読み返す。

前より意味は分かる。

でも、変なところは残っている。

「どうです?」

ミラが読む。

「前より伝わります」

コトハも読む。

「この一文だけ、景色の見え方が変わりますね」

ソウマがアキトを見る。

「変?」

「変だ」

「そこは変わらないんですね」

「変じゃなくする必要がない」

アキトは原稿を机へ戻した。

「お前がそう見たなら、それを読める形にすればいい」

ソウマは少しだけ笑った。

机には三つの文章がある。

高校時代の旧稿。

AIが整えた新稿。

そして、今直した稿。

旧稿の一文には、黒い線が何本も引かれている。

ソウマは消しゴムを手に取った。

試しにこする。

インクは消えない。

紙の表面だけが、少し毛羽立った。

「無理か」

コトハが言う。

「消さなくていいんじゃないですか」

ソウマは黒い線を見る。

笑われた跡。

自分で消そうとした跡。

どちらなのか、もう分けられない。

新しい原稿の同じ一文へ、赤鉛筆を置いた。

一度だけ迷う。

そして余白へ、小さく書いた。

残す

ミラが覗く。

「赤なんですね」

「目立つから」

アキトが鼻で笑う。

「赤鉛筆に善悪はない」

ソウマが顔を上げた。

「それ、前にも誰か言ってそうな顔してますね」

「知らん」

古い印刷機が、奥で冷えていく音を立てた。

ソウマは三つの稿を重ねる。

一番下に、黒く線を引いた昔の頁。

真ん中に、誰にも笑われない文章。

一番上に、今の自分が残すと決めた文章。

三つとも捨てなかった。

笑われなかった文章だけを残すのではなく。

笑われた一行を、今の自分でもう一度選び直した。

この話で起きたこと

ソウマは、AIに個性を勝手に消されたわけではありませんでした。

自分で、

読んだ人に変だと思われそうな表現を自然にしてほしい
誰が読んでも違和感のない文章にしてほしい

と頼んでいました。

AIは、その条件に沿って文章を整えました。

問題だったのはAIを使ったことではなく、「何を直したいか」だけを決めて、「何を残したいか」を決めていなかったことです。

今回ソウマは、

夕焼けが窓に貼りついて、帰りたくない人のふりをしていた。

という一文を残すと先に決めました。

そのうえで周囲の文章だけを直し、意味が伝わる形へ近づけました。

創作に戻すなら

AIで推敲した文章が読みやすいのに、自分の文章ではないように感じたときは、完成稿だけを見るのではなく、変更前との違いを見てみます。

特に確認したいのは次の三つです。

  1. 自分はAIに「何を消してほしい」と頼んだか
  2. 元原稿で、一番見せるのが恥ずかしい一文はどこか
  3. その一文には、自分しか見ていない景色や感じ方が残っていないか

恥ずかしい表現を全部残す必要はありません。

今読んで不要だと思うなら、消して構いません。

大事なのは、

昔誰かに笑われたから消すのか。
今の自分が不要だと思うから消すのか。

を分けて考えることです。

AIへ頼む範囲を変える例

全部を書き直してもらう代わりに、次のような使い方もできます。

この文章を代筆せず、読みにくい箇所と、その理由だけを教えてください。
独特な比喩や固有の言い回しは削除しないでください。
意味が分かりにくい箇所は、自然な文章へ置き換えるのではなく、作者へ確認する質問を返してください。

さらに、絶対に残したい一文があるなら最初に伝えます。

次の一文は残す前提で、前後を読みやすくする方法を提案してください。

AIに「完成稿を作る役」だけでなく、自分の文章を見るための鏡を任せる方法です。

一行ワーク

自分の原稿から、

人に見せるのは少し恥ずかしい。でも、消すと自分の文章ではなくなる気がする一行

を一つ探してみてください。

その一行を消す前に、こう書いてみます。

残す。

それから、周囲だけを直せないか考えてみてください。

この話とつながるガイド

AIの文章を自分の表現へ戻す AIの出力を自分らしく直す方法|ありきたりな案から抜け出す AIの出力をそのまま採用せず、残す表現と直す範囲を分けて自分の文へ戻します。 物語の推敲のやり方 推敲のやり方|初心者が物語を読みやすく直す手順 変更前後を並べ、今回直す目的と残したい効果を分けて確認します。 AIに物語を丸投げしない AIに丸投げしない創作の考え方|作者として残す判断 AIへ任せる補助作業と、作者が手元に残す判断の境界を決めます。

この話を読み終えた

読了を記録すると、未読の物語を次の候補として表示できます。

この端末にだけ読了状態を保存します。

この話から持ち帰る問い

マイノートを見る
短編・作中作の一覧へ 対応記事へ戻る